幼少期から釣りに勤しみ、留学していた期間もサーフィンやダイビング、釣りなどの海に関わる遊びやスポーツはずっとしてきました。

なかなか釣れない時期もありましたが、何故わたしが釣りを続けているのか、心理的な部分も含めて回顧しながら書いてみたいと思います。

 

そもそも人間は狩りをする生き物

人間って狩猟をしながらたんぱく質を摂取し、生物の頂点に君臨してきた生き物。

とくに雄は、狩りをする習性が人間そのものの資質として備わっていて、釣りもまたその類なんだそうです。

 

北京原人も、ネアンデルタール人も、日本固有の縄文時代の人たちもまた、同じように狩りをして、他の動物からたんぱく質を摂取していたことが分かっています。

 

野菜や果物を食べるのと同じように、狩りをして繁栄してきたんですね。

 

釣り人の「獲物を捕らえる」という感覚は、人間が狩りをする生き物であり、その本質がまだ残っているから。

農耕民族であった日本人も、古くから狩りをしてきた歴史があります。

現代社会では、経済が生活の豊かさとか水準を左右しますので、仕事をして稼ぐことが狩りのようなものになっています。

 

釣りとは、その現代社会の非現実的な部分で狩りをする機会なんです。

 

釣り人の心理とは、こういうことから狩猟本能が働いていて、獲れた獲物の大きさを誇らしげに語ったり、獲れた獲物をみんなで食したりする楽しみを共有するのが最終目標として存在しています。

その最終目標は、人類が反映し始めた頃から今もなお、変わっていないということですね。

 

 

私が釣りにハマった理由

きっかけ

母親の方の祖父も、私自身の父親もまた釣りが趣味でした。

祖父は遠方に住んでいましたが、会いに行くと昆虫採集か魚釣りに連れて行ってくれました。
祖父が連れて行く釣りは格別に楽しかったのを覚えています。

それは、父親と全く違う釣り方をしていたからです。

 

祖父はサビキ
父はキス釣りや船釣りなどで、祖父に比べて釣果が上がらないことも多かったです。

祖父のサビキ釣りはアジが簡単に釣れます。

とくにアジって鱚に比べてより一般的のため、アジ釣りの方が楽しかったんですよね。

 

次第に私は、父親が鱚釣りに連れて行ってくれると、近くの港でサビキ釣りをするようになりました。

そこまでは田舎の小学生なのですが、サビキ釣りに飽きてしまった私は、しばらく海外や都会の方へ生活拠点を移した事で、釣りと離れる時代を過ごす事になります。

 

結婚して故郷に戻る20代の半ばに、当時流行していたワームやルアーを使いながらする釣りに目覚めていきました

 

その時、ルアーフィッシングをレクチャーしてくれたのが、地元の先輩。

彼にラインシステムからタックルの事や、実践も含めて魚の生態など様々な事を教わりました。基本的に同行してもらう釣りはナイトゲームが主体でしたが、港、磯、河口、川などで何度も釣らせてもらったので、ルアーフィッシングの楽しさと難しさを叩き込まれました。

その先輩にルアーフィッシングの楽しさを教わっていなければ、釣りにこれほどどっぷりハマらなかったでしょう。

 

そこから「釣り」が自分の生活の一部となっていきます。

 

大人になってから覚えた釣り

地元の中学校を卒業すると、海外に留学することになりました。

海外では、ろくに勉強もせずにサーフィンに明け暮れ、5年間を過ごして帰国しました。

帰国後はすぐに就職することになるのですが、日本にはサーフィンやダイビングをする場所が近くになく、地元やちょっと離れたところへ赴き、サーフィンをできそうな場所を探していました。

 

遊泳禁止だったりなかなかサーフィンのスポットを見つけれなかったのですが、何もせずに波を見ていると、釣りでもしてみようかな。という気になったのをきっかけに、帰国後もサーフィンや釣り、素潜りなどを楽しむようになります。

 

 

大人になってから釣りをすると、自分で仕事して稼ぐため、釣り道具にある程度のおかねを使うことができます

隣で立派なルアーを使っている人が釣果を上げていればマネをしましたし、キャストが上手になりたいと思えばラインを変えたり。

子供の頃は「今あるもので釣りをする」という感覚でしたが、「もっと上手に釣りをするためにあるものを増やす」という考え方にシフトしていきました。

子供の頃と比べれば、情報量も遥かに違うし、情報が増えれば増えるほど、釣りに対する情熱も増えていきました。

 

更に、大人になれば「子供は危ないから」と言われることもありませんので、好きな場所に釣りをしに行くことができます。

車もあったので自由に釣り場を変えることもできるし、とにかく釣りに対して自分の中の世界が広がっていったのを覚えています。

 

 

釣れない悔しさと釣れる喜び

釣りにハマる心理って、釣れない悔しさと釣れる喜びの両極端な二つの感情が形成しているものだと思います。

 

隣で釣ってた人が良いロッドやリール、ラインやルアーを使って釣果を上げていたら、それに近い道具を揃えますよね。
その時点ではあまりハマってないです。

同じ道具なのに、なかなか釣れない・・・
同じ場所でやって、同じような場所にキャストして、アクションしても釣れない・・・

 

ともなると、ポイントや潮などのコンディションを模索します。

それでも釣れないと悔しさがこみ上げてきますが、攻略したときに釣れた喜びはその悔しさの反動で倍以上の感動があります。

 

特に大物や、カンパチなどの珍しく価値の高い魚が釣れた時の喜びはハンパないです。

何日も余韻に浸ることができるし、また「釣りたい」という感情も強くなり、どんどん釣りにハマっていきました。
ちなみに、大人になってより一層釣りに目覚めたきっかけになった魚は87㎝のランカーシーバスを釣ったときのあの喜びは今でも覚えています。

 

ベスト2は、カンパチ73cm。この時にカンパチを釣り上げるようになるまで、既に4回も根に潜られてラインブレイクでスランプでした。カンパチのような魚を釣るための「やりとり」を4度の失敗から学び、カンパチとの戦い方を試行錯誤した上で勝ち取った価値ある一本でした。
この時は腕もパンパンで2日間筋肉痛でしたが、「最強の相手に勝った」感覚でした。

 

その後も、季節を変える毎に、釣り仲間から新しい釣りを次々と教わっていきます。

いままで、かなりの種類の魚を釣ってきましたので、私の妻は魚の種類に詳しく、魚を捌くのもプロ並みです。
実は青物三兄弟の中で釣った事のない「ヒラマサ」をいつか釣ってみたいです。

海釣りは、シーバスから始まりショアジギングまでどっぷり浸かります。

 

船やカヤックでのジギングも好きなんですが、特に好きな釣りは、「ショアジギング」と「アジング」。この2つの釣りは、一生やめられないですね。

釣った魚を他の釣り人に自慢すると羨ましがられるのもまた、隠れた達成感のひとつだったかもしれません。

 

自慢するために魚拓と言うのが存在していますし、釣り大会などもその心理から参加者が集まるものだと思います。

 

 

魚がヒットした時の脳内物質

魚がヒットした時の脳内物質の変化って生物学的に凄い効果があるそうです。

それは、スポーツの得点シーンと似たような作用があるんだとか。

 

野球でホームランを打った時。
サッカーで美しいゴールを決めた時。
ゴルフでバーディーやホールインワンなど決めた時。

それらの瞬間と釣りで魚がヒットした瞬間は似たような脳内物質(ドーパミンとか)の変化があるそうです。

 

つまりそれって、ストレスから一瞬にして解放される瞬間なんですよね。

 

釣りをする人がみんな大きなストレスを抱えているとは思いませんが、人間は誰しも少しはストレスを抱えて生きています。

魚がヒットしたあの「グググッ」というロッドが引き寄せられる瞬間のために、魚釣りをやっていると言っても過言ではありませんが、その瞬間のために釣りを興じているんです。
間違いなく、その瞬間は全てのストレスから解放されています。

 

 

釣りのどこが面白い?という人に分かって欲しい釣りの良さ

私の妻は釣りをすることに対して寛容な方ですが、知り合いには釣りに関して家族の理解が得られないということで釣りの時間も道具も思ったように揃えられない人が多くいます。

釣り人からすると、こんな楽しいこと、他にはないし、まして家庭には絶対みつけられないという感覚なんです。

 

しかも釣りって、他のスポーツと違って喜びを周りのみんなで共有できるんですよね。
釣れた魚を嗜むこともそうですが、自然を相手にしているのでたとえ釣れなくても自然の中で遊んだという解釈までできるし。私も何度も同僚や友人を釣りに招いたことがありますが、初めてや久しぶりの釣りで釣れた人はそのあともハマってくれます。
逆に釣れなかった人は全然ハマってくれませんけど。

 

とにかく、釣りの良さを分かってもらうためにも大物や珍しい魚や自慢できる魚を釣って、もっともっと多くの人にハマってもらいたいものですね。

どうか、この記事を読んでもらって、釣りにハマる心理をご友人やご家族、奥様方にもご理解いただき、もっともっと日本の釣りが盛り上がっていけば嬉しいです。

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